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写真家・内野志織の撮影日記

小学校時代は切手収集に凝っていて、結構まめにいろんな切手を集めていた.
近代洋風建築シリーズとか,皇室シリーズとか,水辺の鳥とか、、、

小さな小さな芸術は手紙の住所欄に彩りを添え、季節を醸し出していた.
そんな切手収集に燃えていた小学校時代から月日が流れ、いつしか切手からも遠ざかっていたのですが,最近また切手に興味が行き始めたのです.
しかも、オーロラ切手ばかり!

オーロラ写真家としてオーロラ写真をたくさん撮っていますが,私自身オーロラ写真もさることながらオーロラ自体に非常に興味があり、オーロラの現れる原理から,オーロラ絵画、オーロラ色のアイテム等々、すべてに興味があるのです!

なので,今回は日本で発行されているオーロラが描かれている切手を集めてみました.
オーロラ切手 オーロラ切手「しらせ」 オーロラ切手 Internationa Polar Year
写真左は1965年11月20日に発行された南極地域観測再開記念の切手。1965年から毎年昭和基地で南極観測が行われるようになりました。南極地図と、オーロラ、南極観測船「ふじ」が図案になっています。

日本の南極観測の歴史は1957(昭和32)年にまで溯ります.この年の1月29日日本の南極観測船「宗谷」は南極大陸湾内のオングル島に上陸「昭和基地」と名づけました。その時発行されたのが下記の切手です。
1957国際地球観測記念
永田武観測隊長ら隊員53人、乗組員77人はカラフト犬20頭とともに南極大陸へ同行しましたが、翌1958(昭和33)年2月,不十分な施設と物資の中で、厳しい気候にたたられ、飛行機で脱出せざるを得なくなり、カラフト犬は置き去りにして撤退を余儀なくされました.

その翌1959(昭和3)年、再び昭和基地に向かった観測隊員は置き去りに2頭の犬と奇跡的に再開し感動を呼びました.この犬がタロとジロです.
基地での日本の観測は第6次まで続きましたが、「宗谷」の老朽化などから1963(昭和38)年2月に一旦閉鎖.
観測船「ふじ」を新造し、1965(昭和40)年初冬に第7次隊が出発し,現在に至っています.

その時発行されたのが一番上の段の写真左の1965年11月20日に発行された南極地域観測再開記念の切手です。

ちなみに、日本人による南極探検の歴史は1910(明治43)年11月29日、東京・芝浦を発った大日本帝国の陸軍中尉白瀬矗(しらせのぶ)で、一旦は氷に阻まれ撤退したものの1912(昭和明治45)1月28日、南緯80度05分西経156度37分の地点に降り立ち、この地に日章旗を立て、一帯を「大和雪原(やまとゆきはら)」と命名しました。
1910白瀬中尉 1910白瀬中尉
(写真左1960年に発行された白瀬中尉南極探検50年記念切手、写真右20世紀デザイン切手、オーロラをバックに白瀬中尉と樺太犬1999年9月22日発行)

しかし、その地点は南極点ではなく、南極点までは100キロもある地点ではありましたが、当時世界4位の南進記録で、南極探検史に残る快挙でした.

日本の南極探検の先駆者として白瀬矗は高く評価され、「宗谷」「ふじ」に続く3代目の南極観測船に「しらせ」と命名されています。

一番上の写真中左は1983年11月14日に発行された南極観測船「しらせ」就航記念切手。南極観測船「ふじ」に代わり、「しらせ」の就航を記念した切手で、「しらせ」に「ペンギンの群れ」、「オーロラ」という南極風景が図案になっています。

写真中右は2007年1月23日に発行された南極地域観測事業開始50周年記念の切手で、上段は観測船「ふじ」(左)に観測用飛行機(右),2段目は皇帝ペンギン、3段目は観測船宗谷とアデリーペンギン、4段目はジロ(左)とタロ(右),5段目は隊員と観測船しらせ(左)に雪上車(左)と言う図案になっています.

写真右は2009年6月30日に発行された南極・北極の極地保護を記念した切手です.
この切手は、切手を通じて世界中の多くの人々に南極・北極の極地保護及び氷河の保護を訴え、地球温暖化という世界的な環境問題に関心を持っていただくことを目的としており、この趣旨に賛同する42の国と地域の郵政事業体が、「極地保護切手」として、過去に例をみない大規模な共同発行を行います。

そんな訳で,「International Polar Year」として42種類の世界の切手がある訳ですね.
どの国の切手も本当にきれいですよ.


次回はフィンランド発行のオーロラ切手を紹介します.


MIZUNO
内野志織のオーロラ写真館
山岳ガイド水野隆信の登山教室

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